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ShowTaro

世界40カ国廻った鬱病旅人の哲学ブログ

既得権益と思想

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大学四年生が終わろうとしている今までに何カ国廻ってきたのかって数えてみたら約40カ国。国の定義って正直解釈次第だからこんな数字にさほど意味はない。バチカンコソボってそもそも国として認めている国の方が少ない気もする。パレスチナイスラエルなんてどっからそう呼べばいいのやらと頭を抱える。場合によっては人権問題にもなる。気をつけなければ。

 

小さい頃から水上難民の村やマングローブジャングルに連れて行ってもらい15歳でなぜか父親に「一人で韓国に行ってきなさい」という謎イベントがあったからか、未開の地に一人で行くことにさほど抵抗もない。ルーマニアチャウシェスクの落とし子やフィリピンの孤児院の子供達も、刺激的ではあったものの「かわいそう」なんて微塵も思わないし、彼らなりに楽しそうな姿を見ると「既得権益ってなんなのだろうか」と考え込んでしまう。

 

彼らから「ジャポン!ジャポン!」とか言われたり、「マネーマネー」とか言われたり、「ジャッキーチェン!」ってからかわれて、「いや日本人だし…」と誰に伝えるでもない声でツッコミを入れる。「個人としての存在」を実感できたことに意味を持つ点で交互に承認欲求を満たし合えていると思う。

 

こうやって旅して廻っていると、いろんな人に出会うもの。移動中や宿での出会いはなかなか刺激的で「予想できない効用」なのだが、旅に出る前にはいつもその「予想できない効用」に対して期待をする。なんだかんだ再び彼らに会うことは少ないものの、心の中では彼らはずっと私の心の中に爽やかな顔で生き続けて美化されている。

 

私個人として「アジア人」「旅人」程度の所属感はあるかもしれないが、それだけを持って孤独に初対面の人々に出会う。ここってかなり人間力が試される。

 

日本にいれば共通言語や話題があり、それなりに確保された「既得権益」によって自己の所属を確保することができるが、独り身でポンっと投げ出ればなかなかそうはいかず、いかに私自身の所属を感じようかと模索する。

 

ニューヨークでスイス人に「どうして日本人は原爆を2回も落とされたのにアメリカが好きなの?」と言われた経験があり、GHQ草案を元に日本国憲法が作られたから日本人の精神性は過去とは違うのだという自分の意見を下手くそな英語で表現したとき何かが開花した気がしたのだ。

そのあと、ドイツ人にナチスについての意見を聞いて自分の意見を交わすというコミュニケーションを試したり、そんなことを繰り返していくようになった。

すると、自分がどう言う考えの人という所属感を構築することができた気がした。

 

要するに個人レベルの考えというものを交わし合うという形で濃密な所属感を創造することも可能である。

 

己のアイデンティティって既得権益というより思想にあるのではないかなと思う限りである。

 

 画像提供:Yupeng Wu