ShowTaro

世界40カ国廻った鬱病旅人の哲学ブログ

哀れな隼

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隼は世の中にうんざりしていた。

 

なぜ人々は群れをなし、同じ所属の人々を特に異質だと信じ、なにを満足しているというのか。

何を競い、その勝利に何の意味を見出し、なにを満足しているというのか。

目的を持たず、手段に捉われ、なにを満足しているというのか。

 

愚かである。実に愚かな毒の蠅どもである。意思を持たず、欲に溺れる毒の蠅どもよ。

こぞって互いに価値観を洗脳し、共通認識のみを目的とし、その行動に意味を持たない腐敗にまとわる毒の蠅である。

 

私は隼。群れも成さなければ、競いもしない。幸福という目的のためにだけ生きる、まっすぐな猛禽類である。私は私のやりたいことだけを行う。そこで、幸福を見出すのだ。私の行動こそが至高なのだ。

 

しかし、私は満たされていない。私はなにをやりたいのか。幸福を見つけられない。私は、これをやりたかったのではないのか。なぜここに幸福がないのか。

 

なんということだ。彼ら毒の蠅どもは満たされているように見えるではないか。しかし、私はそれを認めない。彼らは私より不幸に違いない。見ろ。どう考えても低俗ではないか。彼らがやっていることを真似てみたところで私は幸福ではない。彼らは幸福ではないに違いない。

 

毒の蠅どもよ。その群がりのつながりの弱さといったら湿った和紙のようなものではないか。なんて不安定なのだ。仮にそのつながりに幸福を見出しているとしよう。彼らは不安で幸せなど感じられないに違いない。しかし、彼らは私の目標を達成しているのではないか。不安定こそ幸福とでもいうのか。

 

私は不幸である。それはもう美しいほどに不幸である。私に残されたものを手にとって眺めて見ろ。それは、ガラクタである。そのガラクタは棘を持つ。触れると私をさらに深い不幸に淵に落とすのだ。私は間違いなく隼だった。その方向が幸福ではなく、不幸のいう淵に真っ向化する、まさしく素早く美しい隼だった。嗚呼、その速さは毒の蠅では追いつけまい。私にその毒を盛ってはくれないか。しかし、それは叶わない。

 

嗚呼、私は堕ちてしまった。翼などなかった。意思の翼はそもそもなかった。私は、欲だけを持つ。永遠に満たされない欲である。叶わぬ目標に何の意味があるというのか。私は何故生まれてきたというのか。神は残酷である。その存在は叶わぬものであり、憎悪と後悔、不幸を背負う。私がメシアなのだろうか。そう違いない。世間に愛されることのない、人々の罪を背負うメシアなのだ。

 

隼は深淵に消えて行った

 

画像提供:matsumura