ShowTaro

世界40カ国廻った鬱病旅人の哲学ブログ

孤独な青年の欠いたもの

 

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興味がない

アレキサンダーは他人の話を遮る。それが彼にとって正義であるからだ。

 

なぜかって?無駄な時間だからさ。バカの話を聞いているほど彼の人生は暇じゃない。

アレキサンダーの口癖は「俺は周囲に恵まれている」だ。

 

彼は彼の身近な人間を愛している。彼は彼の大学のサークルの仲間は変わり者で優秀、高校の仲間も大学ほどではないがいっぺん変わった人たちが多くて興味深いと思っている。感情に素直になれる仲」であり、「本音で言って分かり合える仲間と評価している。

 

中学時代のアレキサンダーは暗かった。それは、中学のクラスメートがあまりにもバカでくだらなかったからであると彼は言う。

 

アレキサンダーは孤独だった。中学時代の彼に取り柄はなかった。だから彼は信じていた。彼自身の行動を信じるしかなかった。「勉強して見返してやる。」

 

アレキサンダーは地元じゃ名の知れた高校の生徒だった。入学した途端、彼は「ここの奴らなら俺をわかってくれるはず」と胸を高鳴らせた。そして彼は周囲に歩み寄った。周囲は彼を受け入れ、彼は自分の存在の果実の甘美に酔った。

 

勉強している奴は違うな

これがアレキサンダーの結論だった。

「勉強していない奴なんて面白くもないクソ野郎共だ。」

 

アレキサンダーはまた勉強した。血のにじむほどの努力を経た。一流と謳われる大学に入学するために。そしてその目的を果たした。

 

アレキサンダーにとって自らが通う大学に大きな誇りがある。学生証を取り出す瞬間、SNSにプロフィールを書くとき、大学の名前がわかる形でのSNSへのポストに快感があった。

 

「周囲は俺に注目している。俺は変わり者で、俺の仲間も変わり者。そして、優秀である。」

アレキサンダーはそれを信じていた。

 

しかし、アレキサンダーは次第に感づいてはいた。「自分は外に出ればまだ孤独」。

 

しかし、それは認め難い事実。「俺は変わり者で魅力的。優秀である。誰にも価値を感じられるべき存在。俺の価値がわからないのは妬み、もしくは聞き手の知識不足。」と納得させた。

 

アレキサンダーは自らの誇りある価値観の否定要素を認めたくなかった。青春時代の受験勉強の努力は絶対で誰もが評価しなければならない絶対的価値観であることと、そこで勝利した彼は絶対に周囲に承認されるべきであると信じていた。「自分の周囲の奴らは俺のことをわかってくれる。彼らには素直になれるし本音で分かり合えている」。

 

ああ愚か!愚かすぎる。愚かでならない。

 

20歳のアレキサンダーは彼の地元に帰ったとき恐れた。20歳になるとその国では同窓会が行われることが習わしである。彼は過去の孤独を大学の仲間には隠していた。しかし、それを隠すためには20歳の同窓会に出席するという事実が欲しかった。しかし、孤独が怖い

 

孤独への痛みから彼らに「こいつらの話を聞くことは、こいつらを尊重してしまうことは、こいつらと分かり合えてしまうことは、俺の誇りを、あの努力を否定してしまうことに他ならないのではないか。」という葛藤に悩んだ。

 

歩み寄れない!

 

問題は取り柄だったのだろうか。

その歩み寄り、その尊敬・尊重の念こそが手段として至高だった。

 

彼も彼の親しい仲間も普通だった。変わっているという事実を認めるために周囲に認めさせるために踊らされた日々を恥じた。彼らが分かり合えたと感じることができたのは、ただ歩み寄りあったというシンプルなことだけだった。そして、どの立場からなのか友人に評価を下したのだ。

 

彼は改めた。勇気を持った。

興味を持とう

哀れな隼

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隼は世の中にうんざりしていた。

 

なぜ人々は群れをなし、同じ所属の人々を特に異質だと信じ、なにを満足しているというのか。

何を競い、その勝利に何の意味を見出し、なにを満足しているというのか。

目的を持たず、手段に捉われ、なにを満足しているというのか。

 

愚かである。実に愚かな毒の蠅どもである。意思を持たず、欲に溺れる毒の蠅どもよ。

こぞって互いに価値観を洗脳し、共通認識のみを目的とし、その行動に意味を持たない腐敗にまとわる毒の蠅である。

 

私は隼。群れも成さなければ、競いもしない。幸福という目的のためにだけ生きる、まっすぐな猛禽類である。私は私のやりたいことだけを行う。そこで、幸福を見出すのだ。私の行動こそが至高なのだ。

 

しかし、私は満たされていない。私はなにをやりたいのか。幸福を見つけられない。私は、これをやりたかったのではないのか。なぜここに幸福がないのか。

 

なんということだ。彼ら毒の蠅どもは満たされているように見えるではないか。しかし、私はそれを認めない。彼らは私より不幸に違いない。見ろ。どう考えても低俗ではないか。彼らがやっていることを真似てみたところで私は幸福ではない。彼らは幸福ではないに違いない。

 

毒の蠅どもよ。その群がりのつながりの弱さといったら湿った和紙のようなものではないか。なんて不安定なのだ。仮にそのつながりに幸福を見出しているとしよう。彼らは不安で幸せなど感じられないに違いない。しかし、彼らは私の目標を達成しているのではないか。不安定こそ幸福とでもいうのか。

 

私は不幸である。それはもう美しいほどに不幸である。私に残されたものを手にとって眺めて見ろ。それは、ガラクタである。そのガラクタは棘を持つ。触れると私をさらに深い不幸に淵に落とすのだ。私は間違いなく隼だった。その方向が幸福ではなく、不幸のいう淵に真っ向化する、まさしく素早く美しい隼だった。嗚呼、その速さは毒の蠅では追いつけまい。私にその毒を盛ってはくれないか。しかし、それは叶わない。

 

嗚呼、私は堕ちてしまった。翼などなかった。意思の翼はそもそもなかった。私は、欲だけを持つ。永遠に満たされない欲である。叶わぬ目標に何の意味があるというのか。私は何故生まれてきたというのか。神は残酷である。その存在は叶わぬものであり、憎悪と後悔、不幸を背負う。私がメシアなのだろうか。そう違いない。世間に愛されることのない、人々の罪を背負うメシアなのだ。

 

隼は深淵に消えて行った

 

画像提供:matsumura

ニュートンは万有引力を発見するために木から落ちるリンゴを見た

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とあるスポーツ選手が伸び悩んでいた。その原因を周囲には

「メンタルが弱いから」と指摘され続けていた。

 

そこで、その彼はチームの大黒柱に相談した。

「どうやったらメンタルが鍛えられるか」という課題について。すると、大黒柱の彼はこう答えたのだ。

「メンタルなんてみんな弱いに決まっている。お前は自分の伸び悩みをメンタルを理由にされて本当は嬉しかったんだろ。」

 

この話は、成功しない理由を並べて未来への可能性を潰さない情けない人間の話です。

 

プロになる程の実力から自分のパフォーマンスが否定されることが彼の全てが否定されているようで彼は自分のパフォーマンス自体に欠陥があるということを信じきれなかったのだろう。それを「メンタルが弱い」という理由に甘えて成功への可能性を閉ざしていたのだと思う。結局、このアドバイスから自分を見つめ直した彼はチームのエースに成長した。

 

このような人をみたことはよくあるのではないだろうか?女性に告白しない理由を「まだタイミングじゃない」とか「自分はブサイクだから」とかいろいろ理由つけて避ける人。おそらく、私もそのようなことをする時がある。

 

たしかにブサイクでタイミングじゃないこともあるかもしれないけど、「振られたら付き合える可能性が全てなくなってしまう。だけど、万が一成功したらバラ色の人生が待っている。」という幻想から架空の生きる希望を心の拠り所に日々を過ごしているのだ。決して成功しないまま。

 

私、自然科学的に物事全てに理由を求める人間だったのだが、ここ最近それってすごくナンセンスなんじゃないかって思うのだ。例えば、対人関係において、なんでその人が好きになったとか嫌いになったとかの話の場合が良い例だ。

 

優しくしてくれたからとかかっこいいからとか趣味があるからとかいろいろ理由はあるだろう。しかし、それ満たしてる人って他にもたくさんいるはずだ。なんでその特定の人になるのって話である。要するに、その人じゃなきゃいけないという事実はあってもその理由なんてないと言っても過言じゃない。

 

嫌いになる理由も然り。こういう喋り方が嫌だとか、こういう仕草が嫌だとか。今に始まったことじゃないのにも関わらず、急にそれが嫌になる。それは嫌いになったという事実が先行し、その選択を裏付けるように対象の行動に不快という感情を捏造しているのではないだろうかと。そういうことってよくあることではないだろうか?

 

理由なんて自分含め他者を納得させる道具に過ぎないのだ。

 

画像提供:けんたま/KENTAMA